英語を学ぶことと文化を学ぶこと
「英語を勉強して、ある程度コミュニケーションできるようになりたい。」
これは、多くの英語学習をされている方がおっしゃる目標です。
では、「ある程度コミュニケーションできる」というのはどういうことなのでしょうか?
思っていることを英語に置き換えられれば、コミュニケーションが取れると思っていませんか?
そもそも、コミュニケーションができるというのはどういう状態なのでしょうか。
私は、できる限り自分の思いや考えを相手に伝えることができている状態、と考えます。
ここに一つ例を挙げたいと思います。
ある日、ニュージーランドの友人があなたに話しかけてきました。
「聞いて聞いて!わたし、素敵な彼ができたのよ!今度紹介するわ!!」
そこであなたは答えます。
「え~いいなあ!どこで見つけたのよー。うらやましいなあ!」
と言ったとします。
・・・私たち日本人にはまったくありふれた普通の会話に聞こえます。
でも、多くのニュージーランドの人にとっては
”えっ、喜んでくれないの!?妬んでる?この子性格悪いのかしら!?”
と思うそうです。
つまり、ニュージーランドにおいては、友人のうれしいことは、ともに喜び合うべきであり、妬むことではないのです。
言葉というものは、「文化」、そしてその文化の中の人々の「思考方法」に多大なる影響を受けており、また影響を与えています。
そういうことまで理解しないと、本当の意味でのコミュニケーションができない、のではないでしょうか。
英語はしゃべれるけど、考えていることが全くわからない、嫌な人なんだろうか、などと思われながら暮らしたくはありませんよね。
日本語勉強中の外国からきた人と友達になり、最近ずいぶん言葉を理解してきているな、と思い始めたころに、
とんでもない失礼なことを言われたら、皆さんはどう思いますか?
理解していないのか、理解しているのにわざと言っているのか判断に苦しみませんか?
逆の場合もあります。
相手の何気ない一言や、身振り手振り、反応に至るまで、
その国の文化を知らないがために、とてもひどく聞こえたり、きつく感じたり、
嫌われているのでは、などと考えてしまったりすることで
自分自身を追い込んでしまうことがよくあります。
とくに日本人が陥りやすい状態です。
こういうことをできる限り少なくするところまで勉強してこそ
スムーズなコミュニケーションになる、ということは想像に難くないと思います。
語学学習というのは、単語や文法だけでなく、意味やニュアンス、価値観や思考方法の
発見と確認と習得の積み重ねなのです。
そういう意味で外国語を勉強する場合、
日本国内で勉強するには、非常に限界がある、ということもお分かりいただけたでしょうか。
英語を単にCDで聞いたり、読み書きして勉強しているだけでは、話せるようにはなっても、コミュニケーションに困難が生じるのです。
現地で多くの人に会わなければ、そこまでの勉強はやはり非常に困難なのです。
そして、
文化からニュアンスまで「ある程度」理解して、初めて「ある程度」コミュニケーションができるようになるのです。
英語を母国語としている国家では、人々が言語で困るという経験をあまり持っていないため
私たちが英語勉強で悩んでいることについてなかなか共感を持ってもらえない
つまり、話せてて当たり前、という感覚があることも忘れてはならない事実です。
実は、永住や、長期滞在している日本人でさえ、現地の人とはあまりコミュニケーションせず
日本人同士で集まりを作ったりして暮らしている人が、とても多いのです。
「ある程度」ということが非常に大変だということがお分かりいただけたでしょうか。
ここでぜひもう一度お考えください。
あなたの英語学習の目標は何ですか?
皆様がこれから自信に満ち溢れて目標に突き進まれていくことを心から願っております。